2004.05.08
Category …Ezo Relation
今回はちょっと真面目なお話。
のっけから蛇足的に書かせて戴きますが、私は左も右も、何の団体とも関係ございません。
また、特定の人物を責める内容でもございませんし、私の個人的考えを皆様に押し付ける気も毛頭ございません。
ただ、北方四島の実情を知ってもらう良い機会になれば幸いと存じます。
のっけから蛇足的に書かせて戴きますが、私は左も右も、何の団体とも関係ございません。
また、特定の人物を責める内容でもございませんし、私の個人的考えを皆様に押し付ける気も毛頭ございません。
ただ、北方四島の実情を知ってもらう良い機会になれば幸いと存じます。
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以前某所で、その場の雰囲気とでも申しますか、ちょっと冗談めいた軽い感じで北方四島の話をした事がありました──今思えば、冗談っぽくした時点で拙かったのかも知れません。とある方が私に以下の内容の様な事を仰いました(私の覚えている範囲の要約した内容です。念の為;)。
「今更、北方領土返せなんて言って何になるの?」
正直、私はこの言葉に驚きました。
胸の奥がすうっと冷えてゆく心地がしました。
仰った方がどの程度北方四島に関してご存知か判りませんでしたし、その時の私は敢えてその言葉をスルーしました。
今思い返してみると、単にご自分の意見を述べただけなんでしょうし、取敢えず悪気は無かったのだと思う事にしました。
あの時はここで下手に自分が何か云ったとしても、場の空気を悪くするだけだと云う事も明白でしたし。
自分が迂闊な言動をした様に、この方も同じ様な言動をされたと思うしかありませんでした。
ただ、私の中には苦味を伴った違和感だけが燻り続けました。
恐らく、こんな風に考えてらっしゃる方達の殆どが、「北方四島を返せ!」と仰っている方々の実情をよくご存知無いのだろう、と私は思いました。
もし実際、北方四島に住んでらした方達がこの言葉を聞いたらどんな風に悲しむかなど、想像される事も無いのでしょう。
取敢えず、私が下手に説明するより判り易いと思うので、以下のサイトさんの元島民の方達のお話や、北海道の開拓民がどの様に大変な思いをし、この未開の地を開拓していったのか読んでみて下さい。
私の家系も開拓農民なので、母や祖母から昔の様々な苦労話を聞かされて育ちました。
「北方領土問題対策協会ホームページ」
「歴史東旭川屯田兵屋」
先ず、考えてみて下さい。
今ご自分が住んでいる日本が戦争を始めて(ある意味、今でも戦争に荷担してますケド;)、日本が他所の国に占領され、貴方が今住んでいる家も土地も何もかもを占領軍に奪われてしまったとしたら──?
貴方は仕方無いと簡単に諦めきれますか?
今迄散々苦労して働いて働いて、嫌な思いも沢山してやっと手に入れた大事な土地や家や財産を、「はい、そうですか。どうぞ」と無条件で明渡せますか?
様々な想い出が沢山詰まった故郷から追い出されてしまってからも、ずっと平気で暮らしていられますか?
また何も無いところから頑張る事が出来ますか──?
確かに領土返還は厳しいのが現状なのかも知れません。
そんな第三者の自分であっても、元島民の方達の気持ちを考えますとそんな冷たい事など云えませんし、云える立場にもありません。
ただ、せめて草の根交流が実を結び、元島民の方達が気軽に墓参等が出来る環境が整えばいいな、とは思っております。
飽くまで理想論で恐縮なんですが、最終的にはロシアの方達と一緒に生活していける様な環境になればいいのではないか、と。
北方領土は国の利害の絡んだお話ですし、それでなくとも某政治家の所為でイメージは一気にダウンしてしまった感が否めません。
あの事件の所為で、関係者の方達の苦労が一気に倍増もしたのではないかと思われます。
兎に角、世間的なイメージは悪くなってしまったと私は感じております。
とは云え、地元の人間同士の草の根交流があれで悪くなったとは思っておりません。
回数が減ったりと、物理的なモノは希薄にはなってしまうのかも知れませんが、民間の交流はそんなものでは無いと思いたいです。
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